身体と心の性が一致しない人たちがいる。その人たちはトランスジェンダーと呼ばれている。
「みんな違って、みんないいって、みんな言う」
現在公開中のトランスジェンダーたちを追ったドキュメンタリー映画「恋とボルバキア」のキャッチコピーだ。鑑賞後なんとも言えない気分に包まれて、「らしさ」ってなんだろうと自問自答を繰り返してしまった。
本作では性がもたらす「らしさ」にがんじがらめになりながらも、愛するパートナーや家族と自分の関係にそれぞれのカタチで向き合う5組のトランスジェンダーたちが映し出されている。
東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開中 (C)2017「恋とボルバキア」製作委員会
本作の監督は、自身と家族の関係を壊し晒すことで家族観を問いかけたセルフドキュメンタリー「アヒルの子」や、フジテレビNONFIXで脱原発運動に取り組んでいたアイドル、制服向上委員会を追ったドキュメンタリー「原発アイドル」を手がけた小野さやか氏だ。
小野氏は、撮影を通じて「演じあうことが愛することなのかもしれない」と感じたという。本作では、誰しもが感じる普遍的な悩みや迷いが映し出されていた。小野さやか監督に話を聞いた。
「演じあうことが愛すること」テレビで表現できなかった関係性
ーー「恋とボルバキア」は2013年にフジテレビNONFIXで放送された女装ブームを追ったドキュメンタリー「僕たち女の子」の続編です。放送後、4年撮影を続けた意図を教えてください。
テレビ番組では登場人物たちの関係性をうまく表現できなかったことが心残りでした。出演しているカップルは普通の夫婦が目指すような、自然に子供を持つというゴールはなかなか望めない。そういったわかりやすい方程式と答えがない人々にとって、何がゴールになるんだろうと思ったんです。
それに、登場人物たちには、家族やパートナーなどの自分が演じたい性を受け止めてくれる相手がいました。与えられた性という外面だけではなく内面の演じたい性に合わせて周りも演じています。彼女らを通じてお互い演じあうということが愛することだと感じました。でも、44分のテレビ番組では、その関係性までは描けなかった。
だから映画できちんと残したいと、2年間は自費で撮影を続けました。普通に考えたら本当に映画になるかもわからないまま撮影を続けるなんて常軌を逸しているとしか思えないですよね(笑)実際、撮影中は生活も辛かったけれど、面白いものが作れるという意地もあったんですよね。
レズビアンカップルの暗黙の了解
ーー「恋とボルバキア」というタイトルもですが、セクシャルマイノリティをテーマにしつつも、恋にフォーカスしているように感じました。
本当は「なぜ日本のLGBTQで悩む人は海外へ行くのか」というテーマで作ろうとしていました。本作では使用していませんが、ベトナムやタイでも撮影していました。でも撮影していた1人分の映像が全て使えなくなったりして、当初思い描いていた地図が真っ白になりました。
ただ、手元にある素材で物語を作るしかないと並べてみたら、恋や愛という形にならない人間の関係性が見えてきました。家族といっても分かり合えない人、友人や恋人といってもお互いのことを本当に助け、支え合う濃い関係。そういう言葉にならないけど根底を支える関係性を描きたいと思って、それを表現するには恋がいいなと。
【愛する人が性別適合手術をするためにタイへ行くのを見送る魅夜】
(C)2017「恋とボルバキア」製作委員会
ーー彼女たちの恋愛は、一見するととても辛そうです。もうそれ以上はやめておきなよ!と言ってしまいそうになるシーンもありました。
やはり誰かを愛したいし愛されたいという願望が切実で辛さに結びついているのかなと。彼女たちに限らず、みんなそうですが、お互いが求める相手への願望と相手がなりたい自分とのすれ違いですよね。
【みひろと井戸さん。平日は男装し会社へ行き、週末は女装をして生きているみひろ。叶わないとわかっていても愛することで女装から女性へなっていく】
(C)2017「恋とボルバキア」製作委員会
あとは、本作を撮影するにあたり、レズビアンカップルがよい関係でいるために、暗黙の了解で見ようとしていなかった「子供を作る」ということについてカメラを持って切り込みました。男女でも子供がいない生活を選択する人たちもいる、そことどこか共通項が見えればと思い撮影しましたが、それは物語を作る側の傲慢さというか、本当は二人が見たくないものを映画に合わせてむりやり演じてもらった部分もあるかもしれません。
【樹梨杏とはずみ。愛する人の子供を産みたいと思ったレズビアン樹梨杏と女性として生きる人生を選んだはずみの心の揺らぎが映し出されていた】
(C)2017「恋とボルバキア」製作委員会
性を変える人より、変わられた人が求められる大きさ
ーー作品を見ていると、当事者の周りの人たちを撮影しているシーンも多いように感じました。
出演者達を家族やパートナーがそばで支えています。なりたい性になろうとする側よりも、その周りにいる人たち、相手側に多くのことが求められているんじゃないかと。
トランスジェンダーの方の中にはホルモン投与などで精神が不安定になる人たちもいます。他にも職業環境の不安定さ、そのままでいいよ、と肯定してくれる安定した人間関係を築くことの難しさもあります。実際、私も撮影中に出演者の方と喧嘩をしたことがあって、かなり罵倒され、本当にブチギレそうになりました。側にいるのは簡単なことではないんだな、と感じたこともありました。
取材した人の中には、家族にカミングアウトした際に「気持ち悪い」と言われたという人がいました。その一言で彼女たちとの人生の関わりが遮断されてしまいますが、周りが彼女たちを受け止めることができれば状況は変わります。
今では、性を変える側の目指すモデルも増え、男性に生まれても、女性より美しい人たちは大勢います。わたしも女として生まれた自分と向き合う必要がありました。変わられた側がそのことをどう受け止め続けるかはハートが強くなければ難しい。その場限りではなく、付き合い続ける、継続していかなければいけないですから、決して楽ではないですよね。
【ホルモン異常で体が女性化した王子とあゆ。2歳の頃から女の子として生き、アイドルになりたいあゆを支える王子】
(C)2017「恋とボルバキア」製作委員会
ーーレズビアンの女性が、女性として生きている身体が男性である人と恋愛をしていることで「偽物レズビアン」だと言われ、LGBTQの枠に苦しむ姿がありました。誰しも男女の枠で苦しむことはありますが、それよりもっと複雑な枠が彼女たちを取り巻いているように感じました。
彼女たちの場合は見た目だけじゃなく内面の世界が関わってくる。それにわたしもこの質問をして失敗したことがありますが「男か女どっちなの?」という性の興味の視線に晒されています。自分の対象はどうか、自分はなんなのかということを常に考えています。水商売を仕事にした場合だと、ニューハーフは女性より美しくいなければ存在する意味がないと、常に虚勢を張っていなくてはならない部分もある。
彼女たちの「らしさ」は、らしさの前に、女装ってこうでしょ、ニューハーフってこうでしょ?あなたもこうなんでしょ?という別の定義が加わります。そして、それに対して「私は違う」という個性を発揮しなければならない。男でも女でもない、また別の枠にがんじがらめになっているのかもしれません。
(C)2017「恋とボルバキア」製作委員会
ーー劇場で泣いている人たちの姿を多く見かけました。自分との共通項を感じた人も多かったのではないでしょうか?
本作を観て、説明できない自分の感情に触れて、辛くなって泣きながら帰る人もいました。恋や家族、人との関係性って、性差分け隔てなく同じなんですよね。わかりあえない想いを抱えて、人と向き合うことに悩んでいる。
恋を題材にしていることも大きいのかもしれません。不倫関係を続けたり、複数の人と恋をしてしまう人もいる。トランスジェンダーに限らず、いろんな人がいます。恋に関して言えば、みんなちょっとずつおかしい部分があるし、間違っているとわかっていてもしてしまう時期がある。今思えば、あの頃、私おかしかったなあと思うことって誰でもあると思うんです。本作で描かれた恋が、そういう自分に触れたのかもしれません。
「本当の願いを言ったら、うまくいかなくなる」と樹梨杏さんの言葉が言い得て妙。
この映画は、集団や他者との関係において、好まれる言動や行動様式を求められる「私」の話。あるいは、みんなと同じを押し付けないでほしいし、みんなと同じように扱ってほしい「私」の話だった。#恋とボルバキア— 要友紀子 (@kanameyukiko) 2017年12月28日
魅夜さんの友人が言う「本当の自分なんて、みんな分かってるんですかね」って言葉が一番核心を突いていて共感した。分かんない、分かんない。自分の幸せがなんなのかも分かんない。
でも、楽しく生きれたら良いかな、と常に思う。自分の大切な人たちが幸せなら最高。#恋とボルバキア— maehara minori (@minori8823) 2017年12月17日
ーー小野さん自身も出演者の方と接することで変化があったのでは?
すごく変わりましたね。出演者の中には4年の間で恋をする対象が変わることで、内面が女性からまた男性に戻る人もいた。彼女らと接していると、自分の性も揺らぐ感覚がありました。
出演者に、あなたも男性だったんじゃないの?と聞かれたことがあってすごく泣いてしまったんですよね。その一言で、自分の中の女性である苦しみが、なぜか解放された。きっと、みんながどこか性別に対してがんじがらめになっている部分がある。それが彼女らと接することで揺らぐことがあるんだと思います。
ずっと言わないと、ずっといない存在だと思われる
ーー本作を通じて伝えたいメッセージを。
今の時代を生きる彼女たちじゃないと見せられないものがこのドキュメンタリーにはあると思っています。出演者たちは傷つきながら自分の人生を晒している。
一人で悩んでいる誰かに、自分の生き方がメッセージになるならと、本当は誰にも見せたくない男装をして仕事に行く姿や、親や元妻と話すシーンを撮影させてくれた人もいます。全部、誰かのために届けたいという彼女たちの覚悟です。
昔と比べたら今はセクシャルマイノリティへの理解も進んでいます。でも、それは当時を生きた一人一人の戦いの積み重ねがあったからです。劇中の発言でもありましたが、「ずっと言わないとずっといない存在だと思われる。今言わないといけない」と。
セクシャルマイノリティで悩む人たちの中には、女装に限らず、性の商品として消費されることで承認欲求が満たされるんじゃないかとニューハーフのAV嬢になったりする子もいます。もっともっと職業的な選択肢が増えて、自分が生きやすい範囲で自分として演じやすい性、なりたい性に近づくことが自然に出来て、それを周りが受容してくれるようになればいいですよね。
周りが受け入れてくれれば、そもそもそんなに悩むこともない。結局は社会や周りの人たちと対になっている。もっと、一人一人が生きやすい社会になればいいと思います。
最後に続編について尋ねると「これから彼女らがどんな人生を選び、どんな共同体を作っていくか。大きな転換期の際にまた撮らせてもらいたい」と教えてくれた。
数年後、本作の主人公たちが選んだ人生がスクリーンに映し出される頃、私たちはどんな人生を選んでいるのだろうか。鑑賞後、劇場で泣いていた人たちは、また泣いてしまうのだろうか。
でもきっと泣きながら、こんなに痛いのに、最後にふと思ってしまうはずだ。
あぁ、恋っていいものだなあ。と。
恋とボルバキア、ヒリヒリするほどビビッドな恋愛ドキュメンタリーだった。
【作品情報】
『恋とボルバキア』
ポレポレ東中野(2/2まで)ほか、全国劇場にて公開中
公式HP:http://koi-wol.com
監督・撮影・編集:小野さやか
製作:DOCUMENTARY JAPAN/LADAK/Blue Berry Bird
配給:東風
『アヒルの子』
「恋とボルバキア」公開を記念して、小野監督のセルフドキュメンタリー「アヒルの子」も7年ぶりに1/19までポレポレ東中野にて再上映中
公式HP:http://ahiru-no-co.com
監督:小野さやか
配給:ノンデライコ