「年収数千万円が数百万の生活になっても変わらない」注目写真家の仕事観:常盤響インタビュー

カメラマンとしての地位を築いていた常盤さんが選んだ福岡への移住。アマチュアに戻りたかったと語る常盤さんの真意は?幸せの価値観は人それぞれ。
Pocket

独自の視点でアーティストのジャケットデザインや装丁デザインを経験し、その後カメラマンとしての地位を確立した常盤響さん。前回前々回と常盤さんのこれまでの経歴や篠山紀信さんとの出会い、そして「モデルと共犯性を作っていく」という独自の撮影スタイルを伺いました。

最終回となる今回は、人気カメラマンという環境だったにも関わらず「気づいたら自分の生活のための撮影になってた」と気づき、アマチュアに戻るべく福岡に移住し新たな生活をスタートした常盤さんの肩書きにとらわれない生き方について聞いてきました。

常盤さんが福岡で撮影した1枚。すごくきれい。

100人中100人を満足させる写真より、その人の「顔」を追求したい

―――2011年に東京から福岡に移住したとのことですが移住の理由はなんだったんですか?

これまでのスパイラルから抜けて、一アマチュアに戻りたいなと思って福岡に移住したんですよね。カメラマンへのなりたちは自由でしたが、毎月数十万もするような家賃の家に住んでると、生活のためにも本来は自分がとるべきではない仕事もしなければいけなくなってくるんですよね。だけどよく考えたら、その撮影って、クライアントのためでも、読者のためでもなくて、単に俺自身の生活のためだよな。と思ってきてしまって。

移住した福岡の風景。

―――商業的な写真は撮りたくないと思ってしまったと?

いや、決して商業的なスクエアな写真が悪いと思っているわけではないです。商業写真って、忙しいタレントの方たちの合間をぬって短い時間で撮影をすることが多いんですよ。僕はできてないんですが、カメラマンは、その限られた時間の中でモデルの方を美しく撮影するために照明をはじめとしてこだわるところって色々あるんです。

でも、自分の場合はタレント自身を美しく撮影することよりも、人間の顔の方に興味があって。だから、たとえピントがあってなくても、被写体がいい顔をしていればそれでいいっておもっちゃうんですよね。でもそれって、プロダクションからしたらNGですよね。自分が「良い」と思うものを追求したら、タレントがタレントじゃなくなっちゃうんですよね。

全国各地で撮影をしつづけている常盤さんの作品

――タレントがタレントじゃなくなるというと?

タレントらしい顔じゃなくなるというか。以前雑誌の企画でカメラマン8人で女優さんを撮影する企画があったんですよね。各自30分の持ち時間で彼女を撮影して、最後に彼女にお気に入りの写真を選んでもらうという企画で。

30分の持ち時間でセットを組むカメラマンとかもいたんですが、自分は30分中20分以上を彼女としゃべって、終わりの10分でドアの前の地明かりで彼女を撮影しました。

結果、「私がこういう顔するなんて思わなかった」と僕の写真を選んでくれたんですよね。この場合は誰をよろこばせればいいかがわかっていたのでやりやすかったですが、世の中的に思われている彼女の魅力とは異なってしまったかもしれません。

だから、仕事としてはすごくうれしいけど、雑誌の表紙の撮影のような100人中100人を満足させるような写真を撮影するのは自分には向いてないんですよね。

そんな風に引っ越したときは思っていました。まぁ、今思えば少し青臭い考えの気もしますが。

年収数千万から数百万に。ランボルギーニよりも羊羹(ようかん)をえらんだ理由

――移住したことで、自分がしたい仕事はできるようになりましたか?

そうですね。まあ、仕事っていうのかな?自分も50歳近いんで、まあ人生はまだあるかもしれないけど、レギュラーで試合にでれる期限っていうのがあるじゃないですか?だから、試合に出れるうちは、ちゃんと正面から試合に臨みたいなって。篠山紀信さんとかを見てるとほんとそう思いますよ。

僕は、どの分野でも売れる人って欲の量だと思っているんです。それは性欲ももちろんそうで。で、篠山さんは今でも魅力的な女性や裸に興味津々だし、深夜まで飲んだときも、最期の〆はビフテキだし、精神肉体ともに全部が別格のアスリートなんですよ。

そして、僕は天才とは多作であるべきだと思っていて、篠山さんはお金になる仕事だけじゃなくて、どんなモノでも撮影したいという、どう猛さを持ってるんですよね。もう、色んな意味でやっぱりすごいんですよ。

だから、そんな人を見ていると、自分ごときが背伸びして上手風な写真をとってても意味ないなあと思ったんです。

常盤響さん

――移住で仕事だけじゃなく生活そのものが変わったんじゃないですか?

それでいうと、いま多分年間で150万、200万くらいしか売上ないんじゃないかな。でも不思議なんですが年収数千万くらいあったときと生活がそんなに変わってないんですよね。

移住をしたということもありますが、忙しい時って生活が雑になりますよね。当時はストレスを発散するかのように贅沢なごはんをたべて、隙間をぬって高い服を買い。免許も持ってないのに古いランボルギーニを買って・・

――免許ないのにランボルギーニですか・・・

10年以上駐車場に停まってましたね。でもそれはよかったんですよ。運転したくてランボルギーニを買ったんじゃなくて、夜中に煮詰まったときにランボルギーニの運転席に座りたかったんです。実物大のミニカー感覚ですね。でも、ほんとそんな感じでお金を使っていたので、貯金はなかったですし、毎月きっちりお金はなくなってましたね。むしろお金をもっているのが怖かったのかもしれないですね。

10年以上駐車場に停まり続けていたというランボルギーニ

――怖いっていうと?

こんな俺がこんなに稼いでしまっていいのだろか?と。もちろん、仕事自体はきちんとやっていましたけど、なんというか結果として“てきとう”というか、「こういう感じでやってやる!」みたいな熱い気持ちで仕事をしているわけではなかったので。

そう考えると、今はモノは買えないけど、前と生活は変わらないし、ごはんも美味しいし幸せだなと思えているかもしれないですね。とはいえ、たまには靴下買わなきゃというときもあるので、少しは稼がなきゃと思ったりするんですけど、”もう少し”稼ぐのが結構難しいんですよね。

仕事は仕事を呼んでくるので、いい仕事をすれば自然に次々と仕事がやってくるんです。僕が仕事を始めたときがそうでした。年収が倍々になっていくような。でも、今の状態よりも数万円だけアップするのって案外難しい。もちろん、僕の商品価値がもう無いっていう事なんですけど。

――それでも当時より、今の方が楽しい理由ってほかにもありますか?

どんな仕事でも受けられることですかね。当時は、マネージャーやスタッフもいましたし、金額的に受けられ無い仕事も多かったので。

あるインディーズバンドのジャケット撮影なんてギャラが羊羹(ようかん)でしたよ。羊羹買うなら、羊羹を買う現金をくれと思いましたけどね。こっちはモデルも手配しているし赤字でしかないですし。でも、そういう笑い話ができるような仕事ができてうれしいなって思うんですよね。もちろん、そのバンドが大好きだったので、タダでもやりたかったんですが。

常盤さんが撮影したロックバンド「ダンボール・バット」のジャケット

―――最後に今後の展望を教えてください。

今の福岡の家や近所での撮影を中心に、毎月撮影やイベントで滞在している東京、他にも日本全国モデルさんがいればそこへ行って撮影をしたいです。また、少し考えている作品の展開があるので、日本だけじゃなく海外でも展示などをしていきたいですね。

常盤さん、ありがとうございました!

自身の生活を一変して作品と向き合う常盤さん。新たな作品の展開楽しみですね!なお、ひきつづき「週刊ニューエロス」では撮影に協力してくれるモデルを募集しているとのことですので、気になる方は下記サイトを確認してみてくださいね。

常盤響のニューエロス
http://ch.nicovideo.jp/hibiki-tokiwa

仕事も生活も”幸せ”の価値観は人それぞれ。みなさまも一度、自分自身を覗いてみるのもいいかもしれませんよ?